2022小説・人文ベスト3

 今から思い返すと、コロナ明け1年前の2022年は、最悪だった。好きな本は読めず、必要な資料ばかり読み込み、それを入力しては、つなぎ合わせる日々が続いた。貧しい読書がさらに細く疲弊させた。とはいえ、遅ればせながら、振り返りなければならない。

 

【小説ベスト3】

①『小隊』砂川文次

 自衛隊を辞めたあと自転車で首都を駆け巡り、商品を運ぶメッセンジャーを主人公にした『ブラックボックス』で芥川賞を受賞した著者は、自衛隊で攻撃用ヘリのパイロットをしていたことが話題になっていたが、いぜんから自衛隊経験を生かした小説を書いていた、デビュー作から表題作まで3作品が発表の逆順に並んでいる。なんと言っても表題作の北海道に侵攻してきたロシア軍と、迎え撃つ自衛隊とのリアルな戦闘シーンの描写がすごい。テンポが速く、次々に知らない軍事用語が飛び交い、実戦未経験の一般大学出、幹部候補生上がりの主人公の見た物、聞いた物、身体感覚、独白が戦闘の現場に連れ出す。そのリアリティーは病みつきになること請け合いだ。ロシアによるウクライナ侵略で一層の緊迫感が増している戦争の実態、捨て駒にされる兵隊、何もかも放り投げてちりぢりに敗走する姿が惨めすぎる。最後の生き残った主人公の感覚が胸を打つ。

 2022年5月10日文藝春秋刊、文庫・289ページ・定価836円。

 

②『東京四次元紀行』小田島隆

  著者は2022年6月24日、65歳で逝去した。コラムニストとして活躍し、日本唯一の存在とされた。しかし、本書は小説であってコラムではない。
 32の小説には題名と都内の区名がリンクされ、不思議な男女の話で東京をまさに踏破している。一つひとつはまさに短編であり、短いストーリーとしゃれた会話によってすいすい進んで行くように見えてドボンと深みに溺れる。たぶんこの短編集は音楽に翻訳されれば、ブルースの音色が響くのだろう。

  笑うには悲しすぎて、泣くにはおかしすぎる。男女の間にしか生まれない音楽で、最初の2小節は繰り返しといったブルースの不文律が漂う。

  味わい深いとか、読者を立ち止まらせるもの。突き動かされる情動が確かにある。主人公はおよそ煮え切らない人物で、思ったことが言えないで、周囲に流される。だが、生きている日本人の半分はたぶんそのような人物であり、決してそれがダメではなく、人生が続いていくだけなのだ。それを教えくれる。

2022年6月5日イースト・プレス、四六判・301ページ、定価1,650円。

 

③『大菩薩峠』(全巻)中里介山

 中里介山が1913年〜1941年まで都新聞をはじめ、複数の新聞に書きつないだ世界に誇る巨編小説だが、未完のままとなった。

 第1 巻の甲源一刀流の巻から第41巻の椰子林の巻まで、「音なしの構え」の机竜之介を主人公にした剣豪小説とも、幕末の日本を舞台にした思想小説とも、あるいは理想郷建設の物語、もちろん個性的な人物が大暴れする娯楽小説とも読める。

 日本中を放浪するロードムービーのような要素もあり、ピカレスクロマン、あるいはニヒリズム色が強い無頼小説の様相も呈し、多様性のカオス、話し言葉と書き言葉の坩堝のような文体がダラダラと流れていく実験小説の輝きも秘めている。

 読むのに足かけ10年もかかってしまった。Kindleで読んだので、ページをめくったり、巻を変えたりする必要がなく、寝しなの子守歌になった。

 前半の机龍之介のニヒルな立ち振る舞いに惹かれたが、後半は話が拡散し、登場人物も多く、小説自体が冗長過ぎて集中を切らし中断した。

 無数に登場し、勝手に動き回る人物の中で、最も印象的なのは、顔にやけどの跡が残ったため、いつも御高祖頭巾を被り、傍若無人に振る舞い「暴女王」とされるお銀様だ。彼女は性格がねじ曲がった人物として登場するが、竜之介とも絡み、さらに理想郷をつくる取り組みに湯水のように財産を投ずる。蕩尽と言っても良い散財の様子が痛快かつ強く印象に残る。

 Kindle2014年1月1日改版8,176ページ・定価200円。筑摩文庫1996年9月17日発行、20巻セット定価18,143円(税込)。

 

【人文ベスト3】

①『写真とは記憶である』森山大道(別冊太陽)

 路上でスナップショットを撮り、革新的な世界を切り開いてきた伝説の写真家の人生とエポックとなる仕事をクロニクルにたどる決定版(平凡社のコピー)。森山と交流があり、何度もインタビューしている写真評論家の大竹昭子が「路上からヒトの歴史を透視する」という110ページにのぼる評伝を書いており、結節点になった主要な作品が挿入されている。14ページにわたる「無言劇」パントマイムも収録され、森山を知る人々の証言、書誌や年譜など良くできているムック。

 なぜいま森山大道なのか?2019年にハッセルブラッド国債写真賞を受賞し、世界の頂点に立ったからだ。

 『記録』という私家版の写真集を1972年から出し続け、中断を挟んで2022年の最新号で50号を数えるというから驚きだ。まさに路上のスナップ写真で記憶を重ねる森山が長きにわたる仕事の上に、84歳になった今もスナップを撮り続けていることに唸らざるを得ない。

 森山は北海道にも縁が深く、大竹の評伝によると、父の影響で憧れをもち、何度も撮影に訪れ、1978年には3カ月ほど札幌に滞在した。『北海道』という写真集の出版やまた企画展も開かれ、近年では北海道教育大学で講義もしていた。その森山と札幌駅ですれ違ったことがあり、学園都市線で「あいの里教育大前」まで講義のために通っていたのだろう。

 2022年5月25日平凡社(別冊太陽)、A4・208ページ、定価3,080円(税込)。

 

②『平成史-昨日の世界のすべて』与那覇

 米国歴史学者のフクシマが「歴史の終わり」と言い、ハンチントンが「文明の衝突」と述べた対象がなくなり、ポスト・トゥルースやフェイク・ニュースが横行する時代。歴史修正が止めどもなくタレ流され、もはや通史は不可能になったのが平成史で、そこでは従来の歴史は失われたことを、500ページを超える大著で書き切った労作。

 なにせ昭和から平成にかけての政治経済はもちろん、主要な知識人の主張、サブカルの果てまで、当時の社会意識を動かしたであろう現象を広角に捉え、可能な限り精緻に記述した点は大いに敬服し、感動さえ覚える。

 昭和から平成を画する知識人が取り上げられているが、何と言っても2019年5月に急逝した批評家・加藤典洋にスポットを当て、平成史を締めくくっている点が注目された。彼は2011年の3.11以来、戦後のグランド・ゼロからはるか遠くに向かって思想の問いかけを行い、憲法改正をはじめ、それが国民の声として帰ってくる前に亡くなったことは非常に残念だった。

 真っ青の澄み切った空のもと、濃霧に包まれ、先が見えない平成。それは新型コロナウイルス感染症によって一層混迷を深めつつあるが、歴史と対話しない限り決してそこからは抜け出せない。

 2021年8月10日文藝春秋社、四六判・552ページ、定価2,100円。

 

③『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』W.リプチンスキ/春日井晶子

 この千年で最大の発明は何かという読み物の執筆を受けた著者が中世から近世、近代と画期的な技術、道具を探求する。その答えが「ねじ」であり、私たちの日常にありふれたモノこそ人類の叡智が込められているという著者の哲学が貫かれている。

 最後に出てくるギリシャアルキメデスが「ねじの父」であり、発見した時に叫んだのがあの「ユーレカ!ユーレカ!」だったというのはちょっと出来すぎの感もあるが、芸術家でもあった哲学者が職人として表現したのがねじという作品だった。物語の締めとしてすとんと腹に落ちる。発明=芸術という人間の優れた営みがそこにはあった。

 もともと旋盤工の作家である小関智弘の解説を読みたくて手に取った本。最初に小関の文章を読んだ。「才気ほとばしる発明家の心は、たしかに詩的である」という著者の一節を引いて町工場の天才的な職人を引き合いに出すところはさすがだと感じた。西洋の天才的な職人の物語がぐっと日本の町工場のリアルな物づくりの現場に鮮やかに甦る。ねじ切りができることが一人前の職人の証しだった。中国の工場でもそれが生きていた。まさに小関の話はこの物語が脈々と職人に受け継がれてきた証左なのだと納得させられた。

 2010年5月25日早川書房、文庫・201ページ、定価660円。