2023年で一番のお気に入り小説は何だったか?

『ラウリ・クースクを探して』宮内悠介

 

 

 著者は最初に言う「ラウリ・クースクは何もなさなかった」。ソ連が解体し、ロシアになる過程で周辺諸国にはどんなことが起こったのか。エストニアに生まれた無名の主人公が辿る過酷な運命が淡々と描かれ、現代史のもつ悲劇が浮かび上がる。2023年の最高傑作とも言ってよい作品で、直木賞候補になった。 ラウルはコンピュータのプログラミングに優れた才能を発揮し、ゲームソフトなどで賞賛を浴びる。ロシア人の友人とともに切磋琢磨しながら夢を追い求めたが、ソ連崩壊によって道を断たれる。

 彼とイヴァン、そしてカーチャ。イヴァンは一色覚の障害を抱え、血の日曜日の影響でロシアに帰り記者となった。独立派のカーチャはソ連派との衝突で大けがを負い車椅子のデザイナーとなった。ソ連への忠誠を称える「チェキ スト」アーロンは自裁する。 ラ    ウルも大混乱の中、コンピュータを辞める。周辺国の独立が落ち着くとともに、プログラム教育の仕事につき、居場所を見つけるが「歴史に翻弄された一人の中年の親父」として日々を過ごす。ラウルの生涯を書きたいというライターの導きによって、三人は再会し尽きない話を交わすうちに物語は閉じる。ここにリアリティのすべてが凝縮され、月並みに言えば、読者は余韻に浸る。

 最初に季刊『小説トリッパー』2023年夏季号で一挙300枚が掲載され、一気に読むことができた。この文芸誌は今村夏子『むらさきのスカートの女』のように、時たま傑作が一挙掲載されるため、見逃せない。最初の出会いは、阿部和重の傑作『シンセミア』が当初の「アサヒグラフ」から「小説トリッパー」に連載場所が移ったあたりだと思う。アサヒグラフの掲載分は確かインターネットからダウンロード可能で、ずっと楽しみにしていた。もちろん単行本でも夢中になって読んだ記憶がある。当時の阿部は最高にぶっ飛んでおり、渋谷系とか関係なく、現代日本文学最高の書き手であったと思う。

 2023年8月30日朝日新聞出版、四六判・236ページ、定価1,760円(税込)。