加藤典洋氏の『戦後入門』と『村上春樹は、むずかしい』

 自らの永年のテーマに区切りをつけるため、批評家・加藤典洋氏は、2015年、問題意識のエッセンスを新書で広く読者にわかりやすく語った。一つは『敗戦後論』から続いた戦後を終わらせるための議論、その最終的な具体策として国連主義、反核平和を強化するための憲法改正自民党の自主憲法制定とは反対の内容)という提案を行った『戦後入門』。入門というタイトルは多分に反原発や安保法制反対のデモに参加した若者と彼らに共鳴する潜在的ノンポリ層に読んで、歴史を踏まえた議論をしてもらいたいとの希望が込められている(と思う)。
 もう一つは、加藤氏が好む作家で、ほとんど全作品の解読を行ってきた村上春樹について「スマートなデタッチメント」(個を守り、社会に超然とした態度)を特徴とし「クールに読まれ、クールに語られた」常識を覆す本を書き、これも村上ファンを含めた多くの日本の読者に考えて直してもらう。同時に、村上本人への注文、要望を書き綴ることで「ポリティカル・コレクトネス」(政治的な中立=正しさ?)の穴から抜け出してほしいと叱咤激励する意図が込められている(のではないかと思う)。
 この試みはややもすると「思い込み」に満ち、「押しつけ」がましい。いまの日本社会、論壇や文壇で忌み嫌われることかもしれないが、あえてやり、「満身創痍」の批評家としてやり通す加藤氏の意志が強く現れたと感じた。


『戦後入門』(ちくま新書

1.はじめに
・戦後への疑いと決別を世に問うた『アメリカの影』『敗戦後論』の問題意識が普遍的な国連中心主義による9条の書き換え(改憲)という形で結実した。具体的には自衛隊を国連が管理する部隊と、国内の災害出動を担う部隊に分けることで交戦権を国連に委譲し、非核条項と基地撤廃条項を加えることで「対米従属」から独立を獲得する。
・これによって剥げかかった戦後の看板に決別し、復古型の国家主義に対抗する基軸を構築するのが狙いだが、その思考の広がりと真理への歩み寄りを歴史的に追体験できる好著と言えるだろう。
2.評価
・これまで戦後に関し、かなり抽象的で論理的なレベルの話をしてきた加藤氏は、3.11福島原発事故以来、具体的に戦後にさよならする方法を探求し、その一つの結論が憲法を改正し、9条の持っている交戦権の放棄と世界平和の実現という理念を生かすという提言である。
・かつての自国民の犠戦争の牲者に謝罪できない国が、侵略によって犠牲になった他国民を本当に追悼することはできないという「敗戦後論」の議論よりはずっと理解がしやすく、誤解が少ないのではないかと思う。
3.感想
・戦後70年という節目に、先の戦争が終わって100年経っても「戦後」と言い続けるのか。「対米従属」という呪縛を断ち切る結節点として憲法改正、そして米軍基地の撤去を行う。一見、民族主義による自前憲法の獲得という自民党結党以来の願いと同じように見えるが、そのベクトルは逆で、本来の意味で国連中心主義の平和を求める思考からのアプローチであり、結果は全く逆の現象を生み出す。
・ただし、軍事的=政治的な対米従属は、戦後一貫として日本が植民地であったことを意味するものではなく、当然に経済的自立を獲得し日米の摩擦は続いてきたし、これからも続くことになろう。とはいえ、日本社会が戦後に決別し、基地に象徴される「対米従属」から解放されることは、日米の交流が全く異なる時限に入ることを意味し、どんなコラボや仕事が生まれるのか大変楽しみとも言える。戦後に区切りをつけることは、文化、社会意識の面でも大きな影響をもち、例えば日本の米国製ポピュラーミュージック(ジャズやロック)受容のねじれ解消にも通じるのでは。


村上春樹は、むずかしい』(岩波新書

1. はじめに
ノーベル文学賞候補に毎回名前があがり、新作はすべてベストセラーになる世界的な作家村上春樹。これまでも多くの村上作品を論じてきた著者が、改めて日本やアジアの「純文学」好きの知識層に捉え直し、読み換えを提起する。
・加藤は言う。「村上は純文学の高度な達成の先端に位置する硬質な小説家の系譜に連なっている」と。大衆的な人気や海外での評価が高いにもかかわらず「親しみやすくも、わかりやすくもない」。「村上春樹は、むずかしい」のだと断言し、新たな視点から全体像を明らかにする。
2. 評価
・村上は若者小説の書き手で、社会には関心がなく、主人公は恋愛をするが皆孤独といったイメージが初期に固まり、今に続いている。加藤に言わせれば「野球帽をかぶった文学」である。
・加藤はそうではないという証拠を並べ、本当の村上を見せようとする。それは村上ファンという視線だけではなく、厳しい指摘も多い。例えば、初期作品に貫かれた否定の否定は肯定の肯定に通じるという論理。そして中国、貧困、内ゲバといった事象を小説の中に取り込み、村上独特の表現で作品化したことなどを、強く主張している。
3. 感想
・本当のことを言えば、この本にはちょっと凹んだ。二つあって、一つは『ニューヨーク炭鉱の悲劇』という短編に対し、村上が「内ゲバ」の死者への関心を示したものだという加藤の指摘。これはかつて『文学地図 大江と村上と二十年』でも述べられた。加藤は「大江と村上—1987年の分水嶺」において同様の作品解釈を行い、村上の社会性の深さとして世間が見放した「内ゲバ」への関心をあげる。今回は内ゲバの年表(死者の推移)まで付けて作品の現在を1977年とし、その当時の二桁にのぼる死者に注意を向ける。村上は、1968年早稲田大学文学部に入学、妻と一緒に学生時代からジャズ喫茶を経営し、1975年に卒業後も続けていたいという。早稲田大学文学部は内ゲバの当事者であった革マル派の拠点だった。小説に出てくる28歳の主人公の回りで次々に死ぬ友人は内ゲバの犠牲者を象徴するものだというのだ。本当だろうか?1983年11月に読んだ『中国行きのスロウ・ボート』を探して作品に当たってみたが、確証は掴めない。
・もう一つは、「終わりに 『大きな主題』と『小さな主題』−3.11以後の展開」で、加藤は『1Q84』には書き終えていないテーマが残されているとの指摘し、独特の推理をめぐらす。加藤によれば、「自己の無意識の闇」を見つめる「小さな主題」をめぐる遍歴は最新の短編集『女のいない男たち』の「木野」で、孤立やクールさとは異なる「告白」を通じて「一つのトリップを終えた」。しかし東日本大震災原発事故が提起した「大きな主題」について村上は「他者への捨て身の呼びかけ」を回避し、共同体からの追放から孤独を経た回復に至る話(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)を「ポリティカル・コレクトネス」に囚われていると批判している。「残された話」があるはずだと村上に注文をつけ、「それが姿を見せる」よう要望する。これは果たして小説家に受け入れられるか。微妙な関係と思える。つまり「思い込み」と「押しつけ」を感じたのである。
・どちらの感想も最初に書いた通り、加藤は「満身創痍」を厭わないから、独立した小説家と批評家の関係を維持しながら、踏み込んだ批評を止めないのだろう。