白土三平『カムイ伝』と田中優子『カムイ伝講義』

 現在、法政大学の総長を務める田中優子の『カムイ伝講義』が文庫で出た。単行本の時に評判が良かったのを思い出し、この機会に、読んで見ようと書店で買った。しかし、肝心の白土三平の『カムイ伝』は読んだことがあるのかと問うてみるに、連載していた『ガロ』やコミック本を断片的に読んだ記憶はあるが、通してじっくり読んだことはなかった。
 そこで、近くのブックオフで物色していたら、運良く第一部15巻が手頃な価格で売っていたので買って読んだ。記憶が蘇ってくるシーンはたくさんあったが、一番衝撃的だったのは、日置領で起こった大規模な百姓一揆の首謀者たちが送られた京都奉行所の獄舎で行われる拷問のシーンで、正助たちの生命が危険にさらされた時、一番力の強いゴンが鉛湯を飲み干し、体を爆発させる(ように見えた)ところは何ともすごいなと改めて思わされた。そのほか、一揆のシーン、鉱山のシーン、漁業のシーン、忍者や剣術使いたちの忍者のシーン、農業のシーン、動物のシーン、森や川や海の風景など、劇画としての多彩なシーンが楽しめ、よくできているとなと改めて感心した。
 白土三平は、封建社会や差別などの矛盾を背景にした階級闘争だけでなく、森林伐採や環境破壊などにも目配せする、エコロジー的な価値観をもっていたことに驚かさせる。「一揆主義」に対する政治的な批判、ブームから読者離れといった現象もあったと思うが、スケールの大きさ、江戸時代を偏見なしに生き生きと描く姿勢は賞賛に値する。ここから江戸時代および現代の社会を考える講義を行った田中優子のスタンスもすばらしいなと思った。

カムイ伝講義」はどんな本か?

 本書は、白土三平の長編劇画『カムイ伝』に描かれた江戸時代の社会構造、人々の生き方を読み解き、現代日本に通じる生き方のヒントを得ようとする。大学の比較人類学の講義として始められ、被差別部落出身の抜忍、カムイと周囲の人々の生き様が多くの学生の共感を呼び、一冊の本となって世に出て、文庫化された。日本の文化的なピークを達成したとされる江戸時代は、差別や階層が厳しい格差社会であり、収奪や暴力に満ちた世界でもあった。その一方、農業の生産は上昇し、経済的な発展もめざましかった。原作を読んだ後で、読むのが正しいが、読んでいない人にもしっかりと社会を考えるためのトレーニングを促す。

「いまもカムイはどこかに潜んでいる」

 カムイとは何か。抜忍として既成の社会に抵抗しながら夢を求めて生き延びようとする。著者は、カムイ伝の背景となった江戸時代に頻発した一揆、階級と格差、農業、漁業、林業、鉱山など様々な経済活動を適切に解説してくれる。
 しかし、そのメッセージは「いまもカムイはどこかに潜んでいる」との感覚を読者(学生)と共有することにある。そこに現代とカムイの世界をつなぐ窓が開ける。歴史の中で、自分が何者であるのか問い続けて彷徨する魂は、決して無くならないのだ。

カムイ伝」を読んで何を学んだか?

 たとえば、綿花とその肥料になる干鰯との関係、農業の発展に果たした意味。などを考えることはとても贅沢で、真面目な行為に思えてならない。一方で、カムイ伝の主要テーマたる一揆について、著者は実証的にアプローチし決して頭でっかちの「造反有理」的な極左志向をとらない。
 そして江戸時代は、鎖国社会でもなく、交易を通じて世界経済の一環に組み込まれていたという論理も頷ける。一方で、江戸時代は循環型会社であり、エコロジカルな未来を展望できる進んだ面を持っていたというのも魅力的だ。封建社会、武士と農民の関係に象徴される格差、穢多・非人らへの差別構造、鎖国といったマイナス・イメージから脱却した江戸の世界観がここにはある。
 農家は「多能の人々」であり、経済成長の源であった。同時に彼らは山林の無闇な伐採に危機を抱き、森と川と海という循環に現実的な認識を持っている。糞尿も含めてムダがない。非人たちは農家から捨てる食べ物を回収し、穢多は死んだ獣の肉、皮を有効活用して生きる。私たちは「カムイ伝」を読むことで多くの知恵に触れるチャンスを得る。そして著者によって現代を生き抜く世界観を身につけるサブテキストを得たことはご同慶に耐えない。