鉄輪とサード

 ビデオレンタルに行って日本映画のコーナーを見ていたら、新藤兼人監督の『鉄輪』があり、フラワー・メグのものうい表情にひかれた。この映画は1972年公開ということだが、実際に見た記憶はない。フラワー・メグは深夜番組にやや裸に近い姿で出て歌を歌っていた。
 DVDを借りて見ると、ストーリー自体は能の『鉄輪』を原作に現代に置き換えてものだ。古女房を捨てて若い女と暮らす男に復習しようとする女のすさまじい怨念が全編を貫く。丑の刻参りをしてワラ人形に釘を打ち付ける音羽信子の表情、内に秘めた怨みの深さ。それが鬼の顔に変わる時の恐ろしさ。
 映像的には、若い女を演ずるフラワー・メグが全裸で出ずっぱり。中年の男役の観世栄夫と激しいセックスシーンの演ずるが、いっさいのぼかしはない。新藤監督が映倫コードに正面から挑戦したカメラワークが時代との格闘を感じさせる。エロスを追求した作品だが、現代のAVやポルノとは全く異なり、ただ若いフラワー・メグの肉体が量感たっぷりに惜しげもなく晒されるだけで、見ていくうちにセックスそのものへの関心が薄れていき、映画のテーマにぐっと引き込まれる。
 実験的かつ野心的な作品であり、股間を手で押さえるフラワー・メグと登場人物の白く塗った顔が不気味で、異界に繰り広げられる快楽と感情、そして観念のおぞましさがリアルに迫ってくる。これは映画でしか表現できない混沌だろう。
 実験的かつ野心的な作品であり、股間を手で押さえるフラワー・メグと登場人物の白く塗った顔が不気味で、異界に繰り広げられる快楽と感情、そして観念のおぞましさがリアルに迫ってくる。これは映画でしか表現できない混沌だろう。
 ついでに懐かしい東陽一監督の『サード』を借りて見た。1978年の映画で思い出が深い。少女のエロスを象徴する森下愛子。その「新聞部」の親友で「テニス部」役の志方亜紀子。彼女らに絡む「サード」役の永島敏行、「2B」役の吉田次昭の4人はいずれも純粋で若く、未熟ではかない青春を通り過ぎていく。売春と殺人という罪を犯し、罰を受け、「9月の町」を走り抜けていくサード。彼らの向かう先はわからない。つまり社会でどんな道をたどるか不明だが、一瞬の輝きがまぶしくほろ苦く残る。