エレベーターで聞いた日からずっと

 エレベーターの天井からあの声が突然おりて来た。ディランの咳ばらいのように、しわひとつない。思わず上を見上げた。LEDの明かりがあるだけで、誰も呼んでいない。空耳はこれだけではなかった。ディランのライブで、頭を撃ち抜かれて以来、不思議なことが身の回りに起きた。その話をしよう。本当のことだ。
 その一 はじめに目を交わした彼は、作り物の彫像のように彫りが深く、変奇人に違いないと思わせた。地下街をいつもの時間に歩いて駅に向かうと、突然、斜め後ろ左45度から声をかけられ、逃れられないと知った。聞かないふりをするには接近しずぎている。立ち話で近況を言い合い、私は本当のボブ・ディランを間近で見たと伝えた。ここで別れてよかったのだが、声をかけてきたジャズ愛好者は、いっしょにニューヨークのブルー・ノートでクラーク・テリーを聞いた仲なので、ノーはいえない。コーヒーかビールを誘われ、結局、ビールを飲んでくだらない話をして別れた。
 ボブが歌っていたように「もう終わったと思っているのか?」と聞かれてノーと言えるのか。無理だよ。ニューオリンズやニューヨークにはもう行けない。奇跡が起こらない限り。
 でも行けば行けるさ。そのためにボブの歌を聴き、声を聞いた。天からの音が後押しして扉は開かれ、何をそこで見ても何も言うまいと誓い合った。