最初のゼニガタアザラシの殺し方

 2年間におよぶ会議が終わると、Kはどっと疲れが出て、頭が空っぽになった。気がついてみると、何も事態は変わっておらず、まだゼニガタアザラシの殺し方さえ学んでいない。このあと、2年間で10頭の成獣メスを捕殺する。そのあとは好きなだけ獲ってもいいのに、殺し方がわからない。
 ゼニガタアザラシの歴史は古い。Kはそう思った。ゼニガタアザラシが属する鰭脚類の起源は、新生代の第三の時代、漸新世までさかのぼる。今から二千万年〜三千万年前とされる。
 ゼニガタアザラシは、アザラシ科ゴマフアザラシ属の海生哺乳類で、肉食獣である。暗色型で、体表が黒字に白の銭形文様の毛で被われる。岩礁に上陸して繁殖し、日本で唯一定住するアザラシだ。北海道東部の襟裳岬、大黒島、歯舞群島に生息し、特に千島列島との交流が深い道東群に対し、襟裳岬周辺の群れは独立性が高いという。
 かつてアザラシからはスキーシールや鞄の材料、石けんなどが作られ、昭和30年代には土産物の革製品の需要を背景に、大規模な狩猟が行われ、襟裳岬でも年間50頭程度を獲る猟師が定住していた。しかし、50年代に入り、ファッション需要は低迷し、外国産のアザラシ皮の輸入増加により、商業的なアザラシ猟と猟師は姿を消した。
 アザラシの皮は、カナダ東海岸で幼獣の撲殺による残忍な狩猟によっていまだに皮革業者に供給され、おしゃれで丈夫な高級ファー(毛皮)としてバック、帽子、財布、ブーツなどの製品になって売られている。ただし、自然保護派からは「(生きたアザラシを殺す)リアルファーは要らない」と言われている。アザラシの肉は、カナダやアラスカのイヌイットにとって重要なタンパク源とされ、脂肪分を大量に含み、キビヤックなる独特な発酵食品も存在する。
 現在の日本には、皮革としても食料としても需要がなく、確実に捕殺する商業的な狩猟および猟師も存在しない。
 ゼニガタアザラシは、商業的な狩猟の隆盛によって頭数が極端に減少し、野生生物学者らが1970年代、天然記念物に指定する運動を展開したが、漁業被害を受けている漁業者の団体から反対が起こり、頓挫したという。その後、保護管理が必要との研究報告を受けて、行政も認識を変え、1998年の環境庁レッドリストの絶滅危惧1B類に指定された。頭数の安定、増加が確認され2012年には絶滅危惧種の�類にランクダウンされた。
 近年は、えりも地区において秋サケ、タコなどの漁業被害が激増し、目視によるアザラシ上陸頭数も増加し、絶滅危惧種と地域産業との共存を図る新しい保護管理計画の策定が求められていた。環境省は北海道地方事務所に学識、漁業、自治体の関係者からなる検討委員会を設置し、2012年から2年間のプロジェクトをスタートさせた。その中で、漁業被害を軽減させる防除対策や個体数調整を含む保護管理計画が浮上してくる。特に個体数管理は、生態系に影響を与えるほど増えすぎた野生生物を適正化する、つまり捕殺による駆除を意味するだけに、今後の絶滅危惧種と人間社会の共存を可能にするモデルケースとして注目された。
 そして、検討委員会は思わぬ展開を見せる。環境省が従来の野生生物の保護一辺倒だった行政方針を転換し、効率的な捕殺の方法を模索する試験捕獲への舵を切る。生息頭数600頭とも900頭とも言われる、えりも地区のゼニガタアザラシに対し、年間40頭の枠で捕獲を許すという内容は、絶滅危惧種を保護する立場の人々から大きな反響を呼んだ。
 当初、陸上あるいは海上での銃による捕殺、網による捕殺、ワナによる捕殺などが考えられ、観光目的で訪れるアザラシファンの視線から隠れた場所、岩礁での射殺が検討されたが、陸上からの銃使用を安全面から警察が許可せず、海上での射撃を行うことになったが、慣れないハンターでは揺れる船の上からアザラシを撃つのは容易ではないとわかってくる。当初は漁業者に捕殺の試験を委託し、最も効率的な捕殺方法を選ぶ予定だったが、環境省サイドの安易な漁師だのみは、拒否にあって頓挫する。長年、漁業被害を放って置かれた漁業者の怒りは、いまさら世間の悪者になるような行いはしないと強い反発となって露出した。また、網のよる捕殺は、網に掛かって溺死するアザラシをイメージさせ、長時間苦しまない瞬時に殺す方法は銃による射殺しかないという結論に向かった。漁船をチャーターし、地元猟友会に委託して準備をしていたところ、今度は、大臣から絶滅危惧種を捕殺することは許されないとの判断が下る。試験捕獲の中止が決定し、環境省の方針転換は宙に浮き、検討委員会の方向も環境大臣への追随、環境省の考えしだいという空気に変わる。
 地元漁業者の反発も大きく、環境省北海道事務所の説明や協力依頼はことごとく、漁業者の怒号、非難にかき消されるようになった。道や道議会の現地視察、道内選出の国会議員も海獣被害の重大さを訴え、環境省への働きかけを強めた。
 環境省は国際シンポジウムや勉強会でお茶を濁す形だったが、再び重大な方針転換を行う。漁業被害の軽減、環境大臣の方針、そして研究者から再三求められている食性、繁殖率を調べるための学術捕獲に道を開く方策が突然、提示された。シンポの前日の新聞報道および当時、知床世界自然遺産を訪れた大臣の発言によって、ゼニガタアザラシの増加と漁業被害の増大を認め、一定の調査を通じて絶滅危惧種のリストから除外する方向で環境省が取り組むというメッセージが発せられる。
 そして1頭のアザラシも捕獲しないままに、2年間が過ぎ、検討委員会は最終的な保護管理計画(環境省計画)を協議し、2年後までに絶滅危惧種選定の見直しを行うための調査を行い、メスの成獣10頭を学術捕獲する内容が盛り込まれた。ヘリを使ったモニタリングによってなるべく詳細な頭数調査を実施し、100年間で10%以上減少する可能性があるか否かの判定をする。調査データを絶滅危惧種検討委員会にあげてその判定を仰ぐわけだが、絶滅危惧種からの除外が本当に実現するかどうかは結果しだいになる。
 その間、漁業被害の軽減は網の改良、忌避装置など防除対策に頼るしかないが、計画には具体的な被害軽減や個体数管理の目標など具体的な数字は一切ない、典型的なお役所の仕事でしかなかった。
 話はゼニガタアザラシの殺し方に戻る。メスの成獣10頭は、2年間で致死的な捕殺のよる学術捕獲の対象とする。どんな手段で?定置網を改良して生け捕りも可能な装置をつくる。その改良網で主に秋サケ漁が盛んになる頃に集中して獲るという。アザラシの妊娠時期を考慮しても都合がいい。
 うーん、ところで一番効率的だった銃による捕殺はどうするのか。あれは危険が伴い、海上では当たる確率が低いから、第一義の方法とはしない。改良網による捕獲がうまくいかなければ、再考する。
 そんなんで本当にアザラシは殺せるのか。改良網に入るアザラシは生け捕り可能で、オスメスを選別し、メスが捕殺し、オスには発信器をつけて放し、生息範囲、索餌行動を調査する。というが、2年間で1頭も殺せなかったアザラシがそう簡単に殺せるのか。
 もちろん幼獣は初期の段階で定置網に入って抜け出せずに溺死する者が年間、数十頭いるため、その標本には事欠かない。しかし、幼獣から食性や繁殖を調べるデータは取れない。
 外国では、アザラシの行動を詳細に調査し、漁業被害を軽減するために銃による個体数調整を行っている。問題は全体頭数ではなく、学習能力によって網の中の魚を食べることを覚えた特定の成獣の駆除である。それをどう特定し、どう捕殺したらよいのか、これはなかなか難しい。こういう個体は同じ網に繰り返し侵入し、魚を食べ続ける。環境省計画や今後の対策でも、そういう個体に「お仕置き」のような教育的な措置を取ることが書かれているが、具体的には侵入時にアザラシの嫌がる音響を鳴らし、アザラシを不快にさせる体験と結びつかせ、その行動を諦めるようにさせるというのだ。
 たぶんアザラシはその程度のことではサケを諦めないだろう。将来的には捕殺による個体数管理といういわば機械的な数合わせが主流になるに違いない。
 それにしてもアザラシの殺し方をどうするのか。もちろん批判が大きく、いずれ法的な禁止を引き出すに違いない、カナダの撲殺のような方法は論外だ。苦しまずに瞬時の殺せる方法で、スマートに殺すしかない。
 しかし、野生生物の捕殺はどんな殺し方であろうと惨いもの。昔の猟師のような経済的な動機に裏打ちさせた職業的なハンターの養成が必要ではないだろうか。そのアザラシはきちんと適正な対価で買い取る仕組みが必要だ。環境省が調整捕獲として国費で買い取り、肉と毛皮を需要者に売るようなシステムは可能だろうか。現にその需要が顕在化していない以上何とも言えない。
 Kは、それを教えてくれる学校に入ることにした。それとはゼニガタアザラシを苦しめないで殺す方法を教えもらうことだ。そう書いてみてもう一度、その意味を考えると、実に矛盾に満ちていることにKは気がついた。
 野生生物の海生哺乳類、海獣のメスの成獣を殺すのに、そんなスマートな方法であるんだろうか。その行為の残忍性を言葉の彩で隠そうとするのは何か卑怯な感じを受ける。どんな殺し方をしても野生生物は苦しむに違いない。
 その一方で、戦後ずっと経済優先の開発行為で海や山や川を削ってきた日本社会は、都市化によってテリトリーを犯された野生生物との矛盾を激化させた。動物の周囲にもはや野生はなく、近くに住む人間の空間にどんどん入ってくる。それは索餌行動の習慣性ともつながり、結局は定住化を互いに認めざるを得なくなる。あとは軋轢が高まるに連れ、捕獲行動を行って被害の軽減を行うしかない。
 海をめぐる海生生物と人間社会の軋轢は見えづらい。漁師でなければ「トッカリ食い」の被害実態はわからないし、実害は被らない。陸上のように、被害が表面化しないし、ケガをする住民も出ない。もちろん、地域一丸となっても捕獲作戦などは不可能だ。
 漁業者も定置網が好調だった時代は、アザラシとの共存を肯定し、被害をことさら持ち出すこともなかった。しかし、近年は太平洋の秋サケが原因不明の回帰率減少に悩んでおり、漁獲量が減る中でのアザラシの食害だけに打撃は大きい。その怒りは大きく、絶滅危惧種の捕獲が不可能であれば、漁業被害補償などの救済措置を求める声が急激に高まった。
 Kが考えるアイデアはこうだ。職業的な殺し屋を育成し、商業的な供給市場を開拓できないとすれば、素人が試行錯誤で火中の栗を拾うしかないと思う。住民参加型の捕殺の仕組みをつくり、その技術を身につけ、実践してみることはコミュニティーにとっての一種のイニシエーションとなる。18歳で高校を卒業すると同時にトッカリ撃ちの教習を始め、銃を貸与し、実践への訓練を積む。そして1年後、海へ狩りに出かける。もちろん、地元に残った漁村の若者にしかその権利は与えない。トッカリを撃って初めて一人前の男として認める、そんな古来からあるような濃密なコミュニティーをつくろう。じゃあ女はどうするのか?女もハンターになればいい。嫌だったら、アザラシを解体する技術を学んで、その毛皮を使った皮革製品や肉を材料にした料理などを作ったらいいだろう。
 これによってトッカリ撃ちの残忍性は地域住民すべての共通体験となり、手を汚さず評論家のような口をきくヤツはいなくなる。
 でも本当にゼニガタアザラシの殺し方はこんな形で成立するのか。無理だろう。アナクロも甚だしい。こういう経済的利益が背景にない活動は、公益事業として行政が担うべきだ。地方政府の役人が有資格ハンターとして登録し、定期的に公務としてゼニガタアザラシを海の上から殺した方がいい。
 練習に練習を重ね、先住民族の猟師のような感覚と所作を身につけ、ゼニガタアザラシと寄り添うことで、一体となり、ついには自然と同化してしまう。そんなことができれば、自ずとゼニガタアザラシの殺し方は自然の摂理にように現れるのだろう。ティム・オブライエンの短編集『本当の戦争の話をしよう』にある「ソン・チャポンの恋人」のように、もはやこちら側に戻ってこないヤツがいてもいいさ。ゼニガタアザラシに音もなく近づき、一撃で倒すためには、インチキ宗教のようなトランス状態に入り、忘我の境地に飛ぶこと、つまり新しい世界の構築が必要になり、そこには清潔とか臭いとかの価値観はない。アザラシの毛皮を着て、アザラシの肉を食らいながら辺りの風景に溶け込み、じっと待つしかない。そして繰り返し殺し、繰り返し法悦の瞬間を楽しむ。
 Kはそういう妄想を抱え込みながら、ゼニガタアザラシの殺し方を静かに想ってうたた寝をし、もう一度、資料を読み直した。そこには本当の定置網の隣に「おとり網」を設置してゼニガタアザラシと騙すとか、常習犯の成獣アザラシを生きたまま確保してお仕置きをする「漁具の改良」といった野生生物をバカにした言葉が並んでいるのに、肝心の殺し方はどこにも書いていない。


以下のものを参考にしました。
ウィキペディアに掲載されている「アザラシ」「ゴマフアザラシ」「ゼニガタアザラシ」の記述
環境省北海道地方事務所「ゼニガタアザラシ保護管理検討委員会」の資料