遠くから聞こえる声 風の中で待っている

 3.11から3年経った。何も気にしないで歩いていたら、その当日、東京の空は晴れ上がり、ブルーに染まっていた。
 浜松町の国際貿易センタービルの40階にある展望台に登り、眼下の東京湾隅田川の河口を船が走る。
 鮮やかな波がまぶしい。3年前のあの日、あの時間に向かって全てが少しずつ動き初め、風景も微量に変化し出した。
 そこで、立ち止まって東京タワーを見つめた。何も言わない、何も聞かない。だから開放してくれないか。
 遠くに離れれば離れるほど、放射能は心を締め付ける。これは、吉本の言っていた意識の遠隔対象性と関係があるのか。
 その観念を取り除くことはできない。消費者の観念は遠くにある放射性物質の根源に真実を見ようとする。福島第一原発の天井が吹っ飛んだ建屋と地下に流れ続ける汚染水のイメージは永遠に消えないとすれば、もっと遠くに行くしかないかもしれない。
 その時間、午後2時46分が来て、公共空間では一斉に1分間の黙祷に入り、立っている者は全て頭を垂れた。ここから逃れることはできない。年々歳々、私たちはあの日を忘れないため、セレモニーに目を奪われる。ここではないどこかで再び会えるのだろうか。
 じっと待つしかない。誰もが忘れ去る時まで。私は風の中で待っている。遠くから聞こえる声。真実の叫び。海の底に眠る声。