哀愁のサッポロファクトリー

 札幌市がバブル経済の中で再開発がどんどん進んでいた1980年代から1990年代にかけて、その象徴だったのが、豊平側左岸と創成川東側の旧永山邸周辺の開発。ホテルとマンションが建ち、それぞれ成功した。都心部から近距離にあるにもかかわらず、創成川東側の開発は進まず、サッポロビール札幌工場や北海道ガスなど企業と住宅が混在する地区となっていた。
サッポロビールは道央圏の恵庭市に新工場を建設し、旧札幌工場を再開発し商業施設として展開する。恵比寿ガーデンプレイス成功の余勢をかって、札幌でかつてない巨大なモールをつくり、一大ショッピング街を構想した。年間の利用者700万人というビッグな構想は他を圧倒していた。1条館、2条館、3条館などの各館を結ぶスカイウォーク、ビール工場を活かした赤レンガ館、ホールやホテル、フィットネスクラブがある西館などユニークな複合施設として偉容を誇る。内部にはショッピングをはじめ企業ショールームやシネマ・コンプレックス、ビアホール、地ビールなど、多種多様な業態が連なる。2条館と3条館の真ん中には、シンボルとなっている吹き抜けのアトリウムがあり、広い空間性を構成する。
 さて、そのサッポロファクトリーは、札幌の企業にとってショーケースの場となり、企業力を誇示するために有力企業が競って出店、ショールームを展開した。サッポロビールの子会社、サッポロ都市開発がデベロッパーとして仕切り、その下に広告代理店、商業施設設計、内装工事業者などがついて激しい企画合戦を行ってクライアントに提案、仕事を受注という構図があったと記憶している。札幌が最も熱い時代であり、本業より不動産業、開発事業がより多くの利益を生むのは普通だった。特に重厚長大産業の大企業は、各地に地所を持ち、手つかずの財産としてポテンシャルを遺憾なく放出した。タダ売るのではなく、建物をつけてより高度な価値創造を行うのがまさに流行っていた。といっても、上物の価値創造はそれほど簡単ではなく、現在はその後始末に困っているのが現状だろう。より創造的なものをつくった企業ほどその傾向が強い。
 久しぶりにサッポロファクトリーで行われたイベントに参加し、会場のアトリウムは活況を呈していた。ビール工場の煙突や煉瓦の壁などの遺物をうまく使った空間は、ここにしかない歴史を感じさせるもので、あえて「空虚」というイメージを捧げたい。そして冬の朝、そこには「哀愁」を感じる。商業施設だからこそ今に残り、人々の視線に応えていることに敬意を表したいのだ。