2024年はたくさんの選挙が行われ、いろんな新しさが現れたが、
どれも胸のすっとするものはなかった。たぶん、時代と自分がズレ
ていることに対する感覚が鈍磨しているせいだろう。そんな流れに
抗する刺激を求めて小説や人文の本を読んでいる。というより、読
み切れない本の墓場になっている自宅の空間を見るに、憤怒の念が
どっと押し寄せ、焦燥が増す。それで世間への言葉も少し辛口にな
ってしまうのだろうか。
【小説ベスト3】
①『越境』砂川文次(文藝春秋)
ロシア軍が北海道に侵攻し、それに反撃した自衛隊は、いずれも本国から排除され、そのまま居座り、それに反社会勢力や法制度からはみ出した人々が入り交じり、釧路を拠点とするカオスを形成する。そのはびこる暴力、軍事衝突を通じて戦争の実態、戦闘員の狂気を小説で描いた。自衛隊などの戦闘を描いた小説では著者にとって「小隊」に次いで2作目となるが、視覚、知覚、脳内に映し出される風景描写、どこまでも飛躍する思弁はハンバない。薬でぶっ飛んだロックアーチストにようにどんどん最悪の結末へと読者を誘う。
自衛隊の輸送ヘリの副機長だったイリキは、帯広から釧路に物資を輸送したあと、攻撃を受け、ダムに墜落。元自衛隊のヤマガタとサハ出身のアンナに助けられる。それから戦闘と荒廃の中をドラマは二転三転し、イリキは旭川、滝川、札幌と移動し、最後は核爆発に直面する。
道東、道北、道央を舞台にした流転で最も印象に残っている人物は、標茶一帯を支配しているノモトだ。彼は何も考えず命令に従った侵入者を残忍なやり方デ殺す。小型の核をノモトは所有し、いわば軍事バランスを維持している。それを乱すものは絶対に許さない支配者であり、絶対的な価値観、判断基準をもち、リーダーシップを発揮する。
独裁者ノモトは処刑に当たり、侵入者に言い渡す。
「お前らは何も知らずに命じられてノコノコここにやってきて取っ捕まったってことを。…何か達成すべき目的があってそのアプローチとして何かを積み上げていくんではなくて、何をやっているかもよくわからずにとりあえず命じられたことをやったってことなんだろ。自分がやったことの結果をみて驚いているって、そういうことなんだろ、な?」
肯定した隊員にノモトは最後通牒を言い渡す。
「生きていてもしょうがないな?」
「考えることをやめた奴は生きててもしょうがないんだ。…経験から結果を予測することすらできない生き物はお前たち警察と政府くらいのもんだぞ。…類推や予期がおれたちに与えられた最高の能力なのにそいつ行使しないんだ。…目的意識も理念も何もない、空虚な仕組みなんだ」
この台詞にはぞっとした。小説全編に散りばめられたロシアアバンギャルド的な言質よりも、やはりノモトというキャラクターとパフォーマンスにはとことん魅入られた。ロシア的なピカレスクの幻だろうか。
②『東京都同情塔』九段理江(新潮社)
第170回芥川賞(2023年下半期)受賞作を『文藝春秋』の恒例企画、全文および著者へのインタビュー、審査員の選評なども掲載している当の雑誌を図書館から借りて読んだ。
この中編小説は、『新潮』2023年12号に掲載され、2024年1月に単行本が出ている。若き天才的な女性建築家がザハ・ハディドの新国立競技場が完成した東京の新宿御苑に監獄塔を設計し、そこは苦しみのない快適な空間とされる。彼女が愛おしむ美しい青年が守る東京同情塔はみごとに屹立し、荒唐無稽な意識の浮遊が独白とともに繰り広げられる。
全体の5%ほどはAIを使ったと著者が答えたことから、最先端の文芸のサンプルとして流布され、それなりに話題となった。内容は非常に難解というか、取っつきやすいものではなく、ここから著者がどう出発し、小説世界を編み出していくのか。期待するとともに、心配でもあり、AIという小道具に振り回されず、淡々とやってもらいたいと思った。
キャラクターたちの意識を独白によって曝き、リアリティーを持たせる手法は特に目新しいものではないが、重力に抗して浮遊する魂の行方にスリルを感じさせた。間違いなく若手小説家による新しい収穫の一つだろう。
③『バリ山行』松永K三蔵
第171回(2024年上期)の芥川賞受賞作だが、多くの読者にとってタイトルの読み方がわからず、意味も不明だったろう。読み方は「ばりさんこう」、バリとは「バリエーション」、「正規の登山道以外のルートを使って山に登る」ことを指す。
主人公の波多(はた)は建物の外壁を補修する会社に勤めるが、リストラの経験があり、職場での付き合いのため、登山グループのハイキングに参加する。それがきっかけで、水漏れ処理のプロで、社会の異端者、妻鹿(めが)がバリ山行に毎週出かけていることを知る。
興味を惹かれた波多はある日、妻鹿の六甲山におけるバリ山行に付いて行く。そこで体験する快感と恐怖が彼を襲う。会社の危機から逃げていると妻鹿を非難するが、会社に復帰してみると妻鹿はトップに直言し辞めていた。
実際の登山の知識や興味がなくてもぐいぐい引き込んでいく、この小説には力がある。下地の悪い山道や藪の中を行軍していくシーンの迫力はなかなかで、主人公が崖から落ちて宙づりになる部分では野生がもつ本当の怖さに震える。
妻鹿は、会社においては古い小口の顧客を大切にする職人肌の保守派だが、山に行くと誰も行かないルートに身を投げ、命のかかるような危険を愉しんでいる。本当の危機とは会社と山のどちらにあるのか、現代社会の亀裂が見える。一気に読めた。そういう体験が近年、珍しい新人作家の佳作に出会えた。
【人文ベスト3】
①『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』田野大輔・小野寺拓也(大月書店)
ナチのことがちょっとした話題になっている。街場の「ナチは良いこともやった」などという誤った認識が改めて歴史学者たちの批判を呼んでいる。
「悪の凡庸さ」とは言うまでもなく、政治哲学者のハンナ・アーレントが「エルサレムのアイヒマン」を法廷で傍聴し、下した一つの結論である。それが一人歩きして官僚の犯罪を主体性から組織に転嫁する方に使われる傾向が強くなっている。これに歴史学者が異議を唱え、アーレント研究者が反論するところに本書の軸があり、スリリングな議論ともなっている。
哲学的なタームが歴史と共に単純化され決まり文句になる。そしてオリジナルテキストとは異なった意味を持つ。これはありがちが事だが、昨今の犯罪者が組織の「歯車」で選択の余地が無かったと言い訳する、一つのイメージとしてユダヤ人の大量虐殺を行ったアイヒマンを例に出し「悪の凡庸さ」で補強する。これはダメだろう。
もちろんアーレントが問題の著書でこの言葉を使っているのは最後の一カ所だけであり、その思想的な意味について展開しているわけではない。しかし、本書で確認できたアイヒマンの実像はとてもジュノサイドの下働きをしていた目立たない人物とは言えず、「悪の凡庸さ」は歴史的な知見を加味し再定義する必要があると強く感じさせた。
ソ連がポツダム宣言の後、満州、朝鮮、千島列島・南樺太に攻め込み、日本の軍隊や民間人に大打撃を与えたことは、イメージとしてはあるものの、歴史的事実としての認識は薄らいでいる。
本書は、歴史研究家による最新の史料をもとにした「日ソ戦争」の全貌である。細かい史実、証言に基づいているが、決して読みづらくない。歴史家は私たち凡人と同様の目線で歴史的事実をわかりやすく明らかにしてくれる。
表紙には「第2次世界大戦、最後の全面戦争」「玉音放送後も続けられた、ロシアが戦後を見据えた戦い」とある。裏表紙には「短期間ながら、両軍兵力200万を超えた激闘」とタイトルをつけ、「日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満州・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘を始める地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄、非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く」。
「第2章 満州の蹂躙、関東軍の壊滅」を読んでいると、関東軍の作戦変更の責任(民間人の犠牲者が多数)とか、軍人の家族が先に避難して、戦車への自爆攻撃、総司令部の「転進」(新京・大連から通化への後退)の部分に付箋をつけていた。著者は「自国の軍隊が作戦を優先して民間人の保護を後回しにするとどうなるのか。占領軍が占領下に置いた軍人や民間人をほしいままに拉致・使役し、それ以外は放置するとどうなるのか。日ソ戦争はその悪例として後世に語り継がれるべきだろう」と強く批判する。
北方領土問題を抱える道民にとって関心が高いのは「第3章 南樺太と千島列島への侵攻」だろう。ここにもいくつかの重要事項に付箋をつけた。北海道分割統治を諦める代わりに、スターリンは千島列島の占領を求め、米国が容認する。千島列島、南樺太、北海道をめぐる戦後の秩序は「日ソ戦争」によって決まったのであり、ソ連の参戦を望んだ米国首脳、ソ連に終戦の仲介を頼んだ旧日本帝国のリーダーの間違いで旧住民、軍人そして戦後生き残った人々は多くの犠牲を払い、高い代償を払うことになる。その痛苦な思いを共有した。
まさに戦争の時代に他人事として感じられない日本人が、かつて自らの戦争体験の思い出す、あるいは再体験するために必要なテキストであり、歴史修正主義とは無縁の近現代史がここにある。
③『戦争ミュージアム-記憶の回路をつなぐ』梯久美子(岩波新書)
戦争の記憶は薄らぎ続けるが、記録あるいは遺物はなかなか死なない。ここに紹介される14の「戦争ミュージアム」はその地域とともにあり、訪れる人々に語りかけ、目に記憶を焼き付ける。
個人的には広島の原爆ドームや平和記念資料館、「長崎原爆資料館」などを除くとほとんど行ったことが無く、著者の丁寧なガイドによって訪問するモチベーションが高まる読者が多いだろう。それらを旅することで、過去と現在との対話が生まれ、戦争の悲惨を追体験し、歴史の本質に正面から立ち会えるような気がする。
北海道で紹介されているのは「稚内市樺太記念館」。コラム「戦跡を訪ねて土地は歴史を記憶する」では「地上に国境線のあった島 サハリン(樺太)」が取り上げられている。
戦争末期の1945年7月、北海道は各地で米国空母の艦載機による空襲を受け、軍需産業のあった根室、釧路で大きな被害が出ている。室蘭は空襲に続く艦砲射撃によって485人が犠牲になった。慰霊碑も建立され、7月15日には多くの関係者が訪れるという。ミュージアムがないにしても、歴史の記憶を刻む手がかりは日常の随所に残されているに違いない。
梯はサハリンに何度も訪れ、『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』(角川文庫)という紀行も出している。鉄道と宮沢賢治に多くが割かれているが、かつて「国境観光」があったサハリンを知るために、合わせて読むと北海道の戦争への理解が深まる。