サブカルチャー好きの戦後史 なかなか楽しめるけど… 中心と周辺の変化 サブカル=オタク文化はリアルか

 久々に書きます。今年初めての日記です。

 一つはサブカルチャーについて、昨年は考えさせられました。言うまでもなく、宮沢章夫が2014年8月1日から毎週金曜日午後11時から10回放送されたNHK Eテレ『ニッポン戦後サブカルチャー史』を見て、その後に番組に基づくサブテキストとして出版された『NHKニッポン戦後サブカルチャー史』を読んだからだ。

 宮沢の本は、2102年に『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』を読んでいた。確か斉藤美奈子が雑誌か何かでお勧めしてしたと思う。なかなか良かった。そして『東京大学「80年代地下文化論」講義』と『東京大学「ノイズ文化論」講義』も読んだ。この2冊は今回のサブカルチャー史につながる宮沢の文化的な素養と文化理論の骨組みがわかる。

 さて、ニッポン戦後サブカルチャー史はどうだったのか?とりあえず読後感は「予想通り」としておこう。むしろこの本を読んでから著名な演劇人である宮沢の出自に興味が湧いてかなり前に出された「現代思想」の宮沢特集を取り寄せて読んだ。1975年前後の東京、特に地方から私大に入った若者が直面するイニシエーションに対する彼の対処ぶりに関心を持った。その遅れてきた青年が80年代にクラブやテクノの最先端に躍り出る分かれ目といった人生論的な興味は尽きないものがあった。

 読書日記の本論に入る。まずは梗概です。

 番組内容をなぞった本編より、130ページ以上にわたる年表が充実していると言いたいが、ギュッと詰めすぎたのか誤植が多いのがタマの傷。80年代の地下文化やノイズ文化の著作もある劇作家・宮沢章夫がナビゲーターとなって戦後から現在までのサブカルチャーの流れを体験的に語り、その本質に迫る。

 評価は先ほども書いたように「予想通り」です。なぜか?

 サブカルチャーは上位文化と下位文化という切り口では下位にあり、中心と周縁という切り口では周縁に位置する。宮沢はヨーロッパ文化中心から周縁の、例えばアジアへ、現在のアニメに代表されるクールジャパンに通じる構図を最初に提示し、論を進める。

 最後に到達するのは、サブカルチャーとはカウンターカルチャー(=対抗)ではなく、違う何かを見つめる視線、「逸脱」に本質があると言い切る。それぞれのサブカル体験がその価値、その世界観を決めるのだと語りかける。彼の地下文化論、ノイズ文化論とも共通したコアな文化論が語られ、ちょっとポストモダン的な「戯れ」もあって時代遅れ感は否めない。しかし、そこは彼のマルクス理解の根っことともに評価したい。

 あとは、思いついたことを勝手に語り出すだけです。

 この本の本編は、7つのパートに分かれる。だいたいがテレビ番組と同じく年代に沿って進んでいくのだが、50年代〜70年代までは大いに共感する部分も多かった。しかし、80年代以降は宮沢との感覚のズレを感じた。ほぼ同年代なのだが、80年代以降は、サブカルチャーの現場で活躍した宮沢とはかなりのギャップも感じた。

 例えば、90年代に入ってすぐ「80年代はスカだった」と評価した人々に反発、80年代サブカルチャーの独自性を強調し、90年代、さらには0年代の隆盛を辿る宮沢の批評には「ああそうか」と勉強させられた。それはそれで楽しかったが、大島渚の『新宿泥棒日記』、ディスク・ジョッキー林美雄などに対する思いとは到底比べようもなかった。ニッポン戦後サブカルチャーは体験的な要素もかなり大きい。テレビに出ていたゲストの若い世代にはきっと50年代、60年代のサブカルは遠く、勉強の対象なのだろうと思った。

 NHK Eテレの放送はノートを取って見ていた。サブカルチャー、戦後史ともに好きな人にはちょいと堪えられないな。あの紀伊国屋ビルが文化の象徴で、社長の田辺茂一が出てくる大島渚の『新宿泥棒日記』と1960年代アングラ文化のメッカ、新宿の祝祭空間。TBSの深夜ラジオ、パックインミュージックで1970年代まで活躍した林美雄(ミドリブタ)の「苦労大かるローカルニュース」(下落合本舗提供)の面白さは絶品だった。

 結論です。2000年代のクールジャパン。日本のサブカルは世界的なブームにある。宮沢は官主導のクールジャパンに批判的であり「オタク文化と言った方が適切ではないか」と語る。「定型化されたものがない世界の出現」に対し、宮沢はサブカルチャーが「どこから来たのか」を問い「逸脱せよ」と発信する。