2018年 今年読んだ人文系ベスト3

 貧しい読書リストから選んだ候補はこれです。読んだ順ですが、年の初め頃読んだ本は正直言って内容を忘れています。

1『ゲンロン0 観光客の哲学』東浩紀
2『対談 戦後・文学・現在』加藤典洋
3『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』寺尾紗穂
4『現代社会はどこに向かうか−高原の見晴らしを切り開くこと(岩波新書)』見田宗介
5『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官反抗したか(講談社現代新書)』鴻上尚史
6『日本軍兵士−アジア・太平洋戦争の現実(中公新書)』吉田裕
7『異端の時代—正統のかたちを求めて(岩波新書)』森本あんり
8『原民喜 死と愛と孤独の肖像(岩波新書)』梯久美子
9『フィル・スペクター/甦る伝説 増補改訂新装版』M・リボウスキー/奥田祐士
10『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。幕末・戦後・現在』加藤典洋
11『唐牛伝 敗者の戦後漂流(小学館文庫)』佐野眞一
12『日本の同時代小説(岩波新書)』斎藤美奈子
13『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰記 戦後文学編』高橋源一郎

 ベスト3は次の3冊でした。この3冊はさすがに内容を覚えています。フィル・スペクターの評伝は、いかにも時季外れだが、アマゾンで売りに出していたら、思いがけず注文が来てあわてて読んだ。全部はさすがに読めず、図書館から借りて読むという落ちである。異端の時代は、小説トリッパーに長期連載されたものを読み続け、まとめて再読したいと思っていたら、ハードカバーではなく新書で出たので飛びついた。ちなみに著書は名前から女性の学者とばかり思っていたが、『反知性主義』で評判をとった著名な男性学者で驚いた。タカハシさんの批評(小説?エッセイ?)は、前作を途中まで読んだ記憶があり、戦後文学だったら、知っている話も多いかなと思って手にとったが、改めて困難な情況に飛び込んでの真摯な語りに心を動かされた。


1.『フィル・スペクター/甦る伝説 増補改訂新装版』M・リボウスキー/奥田祐士(2008/03/21白夜書房

 「ウォール・オブ・サウンド」という音づくりや、故大滝詠一氏のリスペクトなどで知られる米国ポップス・ロック界の巨人の長編伝記。若くして音楽プロデューサーの才能に目覚めたフィル・スペクターはピークと呼ばれる1963年にロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を大ヒットさせた時にはわずか23歳。20代で音楽業界に君臨し、ビートルズの「レット・イット・ビー」のプロデュースで日本の若者にも一挙に認知された。
 若くして頂点を極めたスペクターは、1980年、1990年代と時代をやり過ごし、2003年自宅で女優を射殺した容疑でどん底に突き落とされる。2009年には殺人罪で懲役19年の刑が確定。そうした波乱万丈の半生を著者は豊富な証言によって赤裸々に描く。
 本書は故大滝詠一監修プロデュースだけに、註や解説などが行き届いており、1950年代〜60年代の米国音楽業界を知らない人でも十分理解できる。ただし、ボリュームがボリュームだけに、根気よく読み込む努力が必要だろう。
 読んでいくと、ポップスやロックなどの音楽に詳しくなくても、フィルの奇妙な性格や人を押しのけ、裏切るような生き方に人間的な興味がぐっと引き寄せられる。単なる金持ちの奇人が多いかもしれないが、何せ「音の魔術師」の天才である。フィルが発するカリスマ性は現場(スタジオ)にいないとわからないとの証言はまさにリアルだ。
 大滝氏によれば、本作はフィル・スペクターの伝記としては3冊目だが、本当のスペクターはわからない、容易に理解することが不可能な人物だという。もちろん、行きずりのグラマーな女優を家に引き込み、殺した行為も、スペクター・サウンドには全く無関係で、彼の偉大な業績をおとしめるものではない。
 そこで、フィル・スペクターとは何か。再び問うと、本書に出会ったのは一つの入り口に過ぎず、フィルが演奏・プロデュースした音楽を聴くしかない。知っている範囲では、ジョージ・ハリスンビートルズ解散後、初のアルバム「オールシングス・マストパス」が大好きで、後期における最も成功した例の一つではないかなと感じている。


2.『異端の時代—正統のかたちを求めて』森本あんり(2018/08/21岩波新書

 米国のトランプ大統領に代表されるポピュリズムと「反知性主義」を宗教における「正統」と「異端」の関係から読み解く。先行する丸山真男の論考や初期キリスト教の神学史的な展開、さらに宗教学や宗教社会学によって現在の社会状況を分析する。精緻な論理によって、正統があって異端があるというような通俗的な理解に変更を迫る。
 正統は異端によって正統たらしめる。むしろ正統を襲い、正統にとってかわるような真の異端がないことが現代社会の特徴であると指摘する。
 著者の論点は、あくまでも現代の社会状況から始まり、キリスト教の宗教史を経て、ポピュリズム批判につなげる。もちろん、日本人が好む「異端」と「正統」がキイワードとなって常識への挑戦を試みる。
 正統の根拠は教義や正典ではなく、「信じられている」ものが正統である。「宗教」が個人主義化し、「信憑性構造」を持たない現代の「正統」。そして氾濫する「なんちゃって異端」。著者は「現代には、非正統はあるが異端はない」と語り、正統の回復は真の異端が現れることによって可能だと主張する。
 本書における分析、批判の対象は、政治や宗教、イデオロギーなどの社会意識であり、現代の日本人には「虚偽性」や「幻想性」をまとったインチキ臭いものに映る。しかし、そうした熱情に満ちた精神の発露なしに社会は形成されず、「異端」も「正統」も出現しない。組織化された「正統」は、「権威」を生み、やがて「堕落」する。権力が「腐敗」する時、理想を掲げた正真正銘の「異端」が再び現れ、「正統」に取って代わることによって「腐敗」を正す。こうした歴史の大舞台を動かす健全な循環が現代は働いていない。
 全体を僭称する現代の独裁者(ポピュリズム)ではなく、全体の中の個を意識した「正義」=「異端」がすなわち社会の広範に偏在する「正統」、信憑性を形づくる。そうした構造を明らかにすることを通じて著者は、混沌としたポピュリズムや背後の「反知性主義」を撃とうとする。
・新書の体裁ながら読み応え、考え応えがある、今年一番の読書となった。朝日新聞社の文芸誌『小説トリッパー』に2016年春号から2017年冬号まで8回連載され、足かけ3年間にわたり読んだ身からすれば、長い物語に付き合いながら、段々とその世界に慣れ、最後は胸のすく思いがした。十分に楽しんだ読後感に浸っている。もちろん充実感が必ずしも良く理解できたことにつながるものではないが。

3.『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰記 戦後文学編』高橋源一郎(2018/03/15講談社

 小説家高橋源一郎が「もう文学なんてありませんよ」という戦後文学の状況に対し、ロックンロールを標榜し「騙されるな」「怖がるな」と煽動する内田裕也の言葉を借りて一矢報いようとした野心的な作品。
 前作の日本文学盛衰史近代文学を完膚なきまでにパロったタカハシさんが孤絶化する戦後文学の歴史をひもとき、ある部分でおちょくり、ある意味でリスペクトしつつ「今夜はひとりぼっちかい?」と死んだ戦後文学に語りかけ、具体的でも現実的でも何かをやろうとした志を汲み取り、次世代に伝えようとする。
 フツー、タカハシさんは日本を代表するポストモダンの小説家というフーに言われているらしい。私個人としては、Jポップ小説家というホーが世界的な支持が得られるような気がしてならない。
 この小説で驚くのは、内田裕也都知事選に出た時の政見放送の演説をきちんと受け止め、石坂洋次郎の「光る海」の戦後文学性に正統な評価をしていることだろう。これはパロディのようでそうではないとタカハシさんは言っている。
 それと特筆すべきは戦争の体験や東日本大震災福島原発事故に対し「考える」ことを「ことば」によって続けるタカハシさんのプロセスはとても共感するものがあった。
 戦後文学の文学は作者にとって公的なことばと考えられ、「戦後」という空間そのものの広がりに、ほぼ等しい。(本書より)
 小説とは、共同体のひな型、もっとも小さな共同体であり、やがてやってくる共同体の内実を予見する能力をもっている。(本書より)
 震災後の一種の熱狂的な行動の「正しさ」に強い違和を感じつつ、前回の戦争と同じ「非常時」に直面したタカハシさんは、「時機」をとらえ、いつもと違う行動をとる。「自分にとって大きな負担となる金額を寄付する」。
 親交のある批評家加藤典洋氏は「原発事故の意味について考えることは、もろく、軽いことである。強いて考えようとすると、うしろめたくも感じられる」と語り、「死に神に吹き飛ばされる」感覚を書き記した。タカハシさんは、具体的でもなく、現実的なものでなく、知識でもないもので、戦時下のニッポンを書こうとし、最後に「なんでも政治的に受けとればいいというものではない」というエピローグを付けた。