2016 今年読んだ人文系のベスト3

 人文系の方は、ちょっと手応えがある読書ができたな(?)。全部新書じゃなかったし、それなりに刺激を受けた。

1. たまきはる 神蔵美子(リトル・モア
 写真家の著者が、夫の末井昭の協力もと12年かけてまとめたフォトエッセイ。「たまきはる」は命にかかる枕詞で、突然の親友(デザイナーの野田凪)、父の死に遭遇した著者が聖書を読むことに一縷の光を求める心模様が綴られる。
 必ずしも時系列に沿って進んでいくものではない著者の心象を象徴する写真と文章は、混濁する意識の遊泳のように時にはかなく、時に妙にリアルに突き刺さる。イエスの方舟の千石剛賢、独立協会の牧師だった田中小実昌の父、障害者プロレスのがっちゃん、寺山修司、銀杏BOYSなど登場人物は、皆個性的で被写体としても魅力もいっぱい。
 著者の壊れかけた心が苦しみの中から再生していく物語であり、前作『たまもの』同様に心を揺さぶられる写真集。

2.100分de名著 レヴィ=ストロース『野性の思考』 中沢新一NHK出版)
 「野性の思考」は、レヴィ=ストロースが1962年に発表した著作。レヴィ=ストロースは1960年代に隆盛を迎える構造主義の父であり、マルクス主義実存主義とは異なる思想潮流の発酵を準備した。
 その根幹には「近代主義」の否定があり、未開社会が決して文化的、思想的に劣っているものではないというアンチテーゼを提起する。つまり、古代社会から続く近代以前の社会にあった「構造」は普遍的な本質であるとした。
 その名著を中沢新一がテレビ番組で解説し、そのエッセンスを展開したもの。冊子としてもよく出来ている。
 キーワードとして出てくる「ブリコラージュ」(日曜大工)は、中沢が特に強調する方法、考え方で、日本の職人技に通じる。そして「労働」の概念も苦しいものから解放し、つまり「プラクシス」から「ポイエーシス」に導くところに、「野性の思考」の真骨頂があるように感じた。

3.WWF黒書 世界自然保護基金の知られざる闇 W・ヒュースマン 鶴田由紀訳(緑風出版
 ドイツのドキュメント映像作家が世界で最も有名な自然保護団体であるWWF(世界自然保護基金)の影の部分、多国籍企業と手を結んで資金を集め数々の不透明な活動を行っている実態を現場で取材し明らかにした。寄付で運営し、資金の使い途がわからないエコロジー団体の闇を抉る問題作。
 テレビの取材過程で得た情報を一冊にまとめ、世に問うたが、ドイツでは出版差し止め、回収の訴訟を起こされ、一部修正を迫られた。日本版は英語版から重訳という形で上梓された曰く付きの内幕ものだ。
 読むもの全て目からウロコというか、驚くことばかりだが、例えばインドのトラなど大型野生生物を保護する取り組みは原住民が暮らしの糧を得る森からの追放、土地の収奪につながる矛盾。その背景には、WWF設立の原点にある欧州の貴族や富豪のハンティングを満足させる野望があったとは…。
 また、世界の養殖サケを支配するマリンハーベスト(ノルウェー)とオーナーをとりあげ、チリのフィヨルドの環境を悪化させる大規模養殖業の実態を暴く。同時にそれは「グリーン・エコノミー」戦略によって提携するWWFの「持続可能な生産」の名のもとにイメージ・アップに利用されている。
 とにかくこの手の団体にはからきし弱い日本のジャーナリズムには、強烈な反骨のパンチだ。

2016 今年読んだ小説ベスト3

 2016年、今年読んだ小説のベスト3は、前年よりさらに貧弱な感じで、なんかなぁ。さらに恥ずかしい。全部短編集で、全部文庫本になった。

1.女のいない男たち 村上春樹(文春文庫)
 禍福は不倫妻に先立たれた俳優、木樽は恋人を捨てて外国に逃げた男、そして技巧的な生活を送りながら恋煩いで死ぬ渡会、主婦と不倫しながら彼女の語る物語の虜になる羽原、妻を寝取られた傷心を押し殺していた木野、14歳の時に2年間付き合った少女の死を知らされた僕。
 いずれも確かに「女のいない男たち」の深い喪失、ただ祈ることしかできない男たちの悲しみが描かれている。月並みに言えば、男女の仲は小説より奇なりのはずだが、巨匠村上はあえてそこに挑んだ(?)。心に潜むダークな部分への新たな冒険を含め文句のない傑作短編集。

2.ジャンプ 他11篇 ナディン・ゴーディマ(岩波文庫
 人種差別の極限に位置した南アフリカが行き詰まり、アパルトヘイト廃止へ至る前後、大変化に直面した社会の様々な人々の揺れ動く心を描く。そこには恋愛、複雑な人種関係、カラードの夢、白人男性の命の危険、活動家の妻、黒人政府側に身を投じることができない青年などが出てくる。
 これら民衆の心のザラつきは、当地に踏みとどまった著者ならではの世界の感触であろう。人種差別に反対する白人小説家を堅持し、ノーベル文学賞を受賞した希有の存在として光る短編集。

3.ポロポロ 田中小実昌河出文庫
 表題の「ポロポロ」は、「アメン父」などに続く、著者の描く独特の宗教もので、指導者であった父と信者の祈りの世界がテーマ。
 あとの6編は戦争体験に基づく重いテーマを小実昌氏特有の乾いたユーモアを交え淡々と物語る。一見、弱そうに見えて強い兵隊たち。著者もその一人で、死ぬのが嫌だとか、絶対にこんな場所で死ぬはずがないという強い感覚を持ちながら、慢性的な下痢に悩まされる毎日。不条理な死に直面しても激情に流されず、目をぱっちりと開き現実を見つめるフツーの人がそこにいる。

加藤典洋著『日の沈む国から 政治・社会論集』を読んで

 震災後、著者は精力的かつ真摯に新しい社会状況に立ち向かい、常識を打ち破る論考を世に問うてきた。その関心は、広く世界へ、現代思想ニューウェーブまで捉えて、なおも増殖を続け、次のテーマに目を遠く投げかけているようだ。
 正直言ってこの辺で、読む方の限界も感じつつ、しかし、スリリングな論理の飛躍、遠くに遠くに行こうとする発想、そしてこちら側に帰ってくる時の爽快さは日本の現在の批評では群を抜いている。
 本書は、原発問題を論じた『世界が永遠に続かないとしたら』、平和憲法を論じた『戦後史入門』のフォローをする内容で、著者の独自の見解への疑問や批判に応え、他の論者、領域との連帯、問題意識の共有を確かめるものとなっている。目に触れた範囲では、ニューヨーク・タイムスにコラムを掲載していたのは知っていたし、日本の新聞に掲載していた評論も幾つかは見た記憶がある。
 という経過から、主要な論点は、脱原発に向かう社会認識の原理として「有限性」の思想を提起し、成長を続ける無限性をベースに構築された産業社会の限界を改めて確認している。また、戦後の憲法のあり方、平和主義の空洞化(ねじれ)を指摘し、国連中心主義に基づく平和憲法への改正を主張する。
 いずれもあの日(東日本大震災福島原発事故)から、日本社会は一変したのであり、その結果を受け止め、原因を究明し、そして未来をつくる思想を考え直す取り組みがずっと続けていかなくてはならず、加藤氏の一連の仕事からは目を離せないし、精読する姿勢を崩せない。
 あの日(東日本大震災福島原発事故)から、日本社会は一変したのであり、その結果を受け止め、原因を究明し、そして未来をつくる思想を考え直す取り組みがずっと続けていかなくてはならず、加藤氏の一連の仕事からは目を離せないし、精読する姿勢を崩せない。
 2016年8月4日岩波書店刊、評論、四六判、296ページ、定価2160円(本体価格2000円)。

加藤典洋氏の『戦後入門』と『村上春樹は、むずかしい』

 自らの永年のテーマに区切りをつけるため、批評家・加藤典洋氏は、2015年、問題意識のエッセンスを新書で広く読者にわかりやすく語った。一つは『敗戦後論』から続いた戦後を終わらせるための議論、その最終的な具体策として国連主義、反核平和を強化するための憲法改正自民党の自主憲法制定とは反対の内容)という提案を行った『戦後入門』。入門というタイトルは多分に反原発や安保法制反対のデモに参加した若者と彼らに共鳴する潜在的ノンポリ層に読んで、歴史を踏まえた議論をしてもらいたいとの希望が込められている(と思う)。
 もう一つは、加藤氏が好む作家で、ほとんど全作品の解読を行ってきた村上春樹について「スマートなデタッチメント」(個を守り、社会に超然とした態度)を特徴とし「クールに読まれ、クールに語られた」常識を覆す本を書き、これも村上ファンを含めた多くの日本の読者に考えて直してもらう。同時に、村上本人への注文、要望を書き綴ることで「ポリティカル・コレクトネス」(政治的な中立=正しさ?)の穴から抜け出してほしいと叱咤激励する意図が込められている(のではないかと思う)。
 この試みはややもすると「思い込み」に満ち、「押しつけ」がましい。いまの日本社会、論壇や文壇で忌み嫌われることかもしれないが、あえてやり、「満身創痍」の批評家としてやり通す加藤氏の意志が強く現れたと感じた。


『戦後入門』(ちくま新書

1.はじめに
・戦後への疑いと決別を世に問うた『アメリカの影』『敗戦後論』の問題意識が普遍的な国連中心主義による9条の書き換え(改憲)という形で結実した。具体的には自衛隊を国連が管理する部隊と、国内の災害出動を担う部隊に分けることで交戦権を国連に委譲し、非核条項と基地撤廃条項を加えることで「対米従属」から独立を獲得する。
・これによって剥げかかった戦後の看板に決別し、復古型の国家主義に対抗する基軸を構築するのが狙いだが、その思考の広がりと真理への歩み寄りを歴史的に追体験できる好著と言えるだろう。
2.評価
・これまで戦後に関し、かなり抽象的で論理的なレベルの話をしてきた加藤氏は、3.11福島原発事故以来、具体的に戦後にさよならする方法を探求し、その一つの結論が憲法を改正し、9条の持っている交戦権の放棄と世界平和の実現という理念を生かすという提言である。
・かつての自国民の犠戦争の牲者に謝罪できない国が、侵略によって犠牲になった他国民を本当に追悼することはできないという「敗戦後論」の議論よりはずっと理解がしやすく、誤解が少ないのではないかと思う。
3.感想
・戦後70年という節目に、先の戦争が終わって100年経っても「戦後」と言い続けるのか。「対米従属」という呪縛を断ち切る結節点として憲法改正、そして米軍基地の撤去を行う。一見、民族主義による自前憲法の獲得という自民党結党以来の願いと同じように見えるが、そのベクトルは逆で、本来の意味で国連中心主義の平和を求める思考からのアプローチであり、結果は全く逆の現象を生み出す。
・ただし、軍事的=政治的な対米従属は、戦後一貫として日本が植民地であったことを意味するものではなく、当然に経済的自立を獲得し日米の摩擦は続いてきたし、これからも続くことになろう。とはいえ、日本社会が戦後に決別し、基地に象徴される「対米従属」から解放されることは、日米の交流が全く異なる時限に入ることを意味し、どんなコラボや仕事が生まれるのか大変楽しみとも言える。戦後に区切りをつけることは、文化、社会意識の面でも大きな影響をもち、例えば日本の米国製ポピュラーミュージック(ジャズやロック)受容のねじれ解消にも通じるのでは。


村上春樹は、むずかしい』(岩波新書

1. はじめに
ノーベル文学賞候補に毎回名前があがり、新作はすべてベストセラーになる世界的な作家村上春樹。これまでも多くの村上作品を論じてきた著者が、改めて日本やアジアの「純文学」好きの知識層に捉え直し、読み換えを提起する。
・加藤は言う。「村上は純文学の高度な達成の先端に位置する硬質な小説家の系譜に連なっている」と。大衆的な人気や海外での評価が高いにもかかわらず「親しみやすくも、わかりやすくもない」。「村上春樹は、むずかしい」のだと断言し、新たな視点から全体像を明らかにする。
2. 評価
・村上は若者小説の書き手で、社会には関心がなく、主人公は恋愛をするが皆孤独といったイメージが初期に固まり、今に続いている。加藤に言わせれば「野球帽をかぶった文学」である。
・加藤はそうではないという証拠を並べ、本当の村上を見せようとする。それは村上ファンという視線だけではなく、厳しい指摘も多い。例えば、初期作品に貫かれた否定の否定は肯定の肯定に通じるという論理。そして中国、貧困、内ゲバといった事象を小説の中に取り込み、村上独特の表現で作品化したことなどを、強く主張している。
3. 感想
・本当のことを言えば、この本にはちょっと凹んだ。二つあって、一つは『ニューヨーク炭鉱の悲劇』という短編に対し、村上が「内ゲバ」の死者への関心を示したものだという加藤の指摘。これはかつて『文学地図 大江と村上と二十年』でも述べられた。加藤は「大江と村上—1987年の分水嶺」において同様の作品解釈を行い、村上の社会性の深さとして世間が見放した「内ゲバ」への関心をあげる。今回は内ゲバの年表(死者の推移)まで付けて作品の現在を1977年とし、その当時の二桁にのぼる死者に注意を向ける。村上は、1968年早稲田大学文学部に入学、妻と一緒に学生時代からジャズ喫茶を経営し、1975年に卒業後も続けていたいという。早稲田大学文学部は内ゲバの当事者であった革マル派の拠点だった。小説に出てくる28歳の主人公の回りで次々に死ぬ友人は内ゲバの犠牲者を象徴するものだというのだ。本当だろうか?1983年11月に読んだ『中国行きのスロウ・ボート』を探して作品に当たってみたが、確証は掴めない。
・もう一つは、「終わりに 『大きな主題』と『小さな主題』−3.11以後の展開」で、加藤は『1Q84』には書き終えていないテーマが残されているとの指摘し、独特の推理をめぐらす。加藤によれば、「自己の無意識の闇」を見つめる「小さな主題」をめぐる遍歴は最新の短編集『女のいない男たち』の「木野」で、孤立やクールさとは異なる「告白」を通じて「一つのトリップを終えた」。しかし東日本大震災原発事故が提起した「大きな主題」について村上は「他者への捨て身の呼びかけ」を回避し、共同体からの追放から孤独を経た回復に至る話(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)を「ポリティカル・コレクトネス」に囚われていると批判している。「残された話」があるはずだと村上に注文をつけ、「それが姿を見せる」よう要望する。これは果たして小説家に受け入れられるか。微妙な関係と思える。つまり「思い込み」と「押しつけ」を感じたのである。
・どちらの感想も最初に書いた通り、加藤は「満身創痍」を厭わないから、独立した小説家と批評家の関係を維持しながら、踏み込んだ批評を止めないのだろう。

原発労働を描いた3冊を読む

 原子力発電所内の労働、原発労働を描いた本を通じて考えさせられた。原発労働というと高線量に悩まされる、福島第一原発廃炉に向けた作業に注目が集まるが、原発が動く限り日常的な定期点検(定検)は今後ずっと続く。その実態は電力会社の「隠蔽体質」もあって、実際に中に入ってみないとわからないことが多い。
 被曝が伴う原発労働をテーマにした3タイプの本を読んだ。ひとつは、3.11後の福島原発の現場で得た体験をマンガ化し、3冊にまとめた『いちえふ』。次に3.11後に復刊された先駆的な記録『原発労働記』(『原発ジプシー』を加筆修正)。そして1980年から3.11までの空白の30年間を埋める証言を集めた『原発労働者』。
 原発労働のとらえ方は三者三様で、『いちえふ』は現状を肯定し、『原発労働記』は事実にこだわり、『原発労働者』は底辺労働への義憤をバネに書かれている。一番わかりやすかったのは『いちえふ』で、作者の価値観とは別に捨てがたい。しかし、著者が「人(原発労働者)を踏んづけて(電気を使い)生きる」ことへの自己否定と無関心に対する怒りで体を震わせる『原発労働者』に読者を動かす力を感じた。原発労働の多重請負と労働者をピンハネする構造が変わらないことは共通しており、現場での差別、労働者の「使い捨て」は社会問題として解決されなければならないだろう。

1.『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記1〜3』竜田一人(講談社・モーニングKC)
☆プロフィール マンガ B6 176〜192ページ 定価626円(本体580) 2014年4月23日〜2015年10月23日発行

 福島第一原子力発電所を現場の人たちは「1F」(いちえふ)を呼ぶ。2012年と2014年に実際に1F内で作業員として働いた作者が自身で見聞き、体験した現実を描いた漫画作品。内外のマスコミから大きな反響を呼び、外から伺い知れない1Fの廃炉に向けた作業の実態(の一端)を広く認知させた。
 作者自体は、一般マスコミの論調に批判的であり、1Fの現実とかけ離れた憶測を否定している。大震災・原発事故からの復興に役に立ちたいという気持ちを動機に、実際に1Fに働いている人々の生の声を漫画で代弁する。
 こういうルポのような実録物は、どうしても現場に潜入し、実態を暴くという先入観を持ちがちだが、作者はいたってフラットな姿勢を続ける。もちろん、より放射線の高い現場に進んで入ろうとするのは、漫画を書くための取材と不可分のモチーフには違いない。
 仮名を使い、マスコミにも個人を特定させなかった作者は、東電に目をつけられ、排除されるのではと不安な気持ちで1Fに舞い戻るが、それも杞憂に終わる。2014年夏には原子炉建屋という最前線に足を踏み入れる。そこで垣間見られる高放射線との戦いはこの漫画のハイライトであろう。そして作者や仲間達の明るさ、智恵と勇気が、何十年かかるかわからない廃炉への読者の鬱憤を少し晴らしてくれる気がするのである。
 売れない漫画家だった作者は、1Fで働いたあと、体験をもとにしたルポ漫画「いちえふ〜福島第一原発案内記」を描き、出版社に持ち込んだ。編集者の目にとまり、漫画新人賞をとる。講談社の『モーニング』に掲載され、注目をあびる。それから本格連載が始まり、『モーニング』に2013年10月〜2015年10月まで不定期で掲載された。海外メディアの取材が多く、すでにスペイン、フランスなどで販売が決まっているという。
 一部の人々からすれば、現場は復興に向かって改善されていると語る作者は批判の対象かもしれない。時折出てくる持論もうざったいと感じる人もいるだろう。しかし、とにかくユニークな存在であり、一般マスコミが入れない最前線を見せてくれる貴重な漫画でもあるので、どんな現実に直面しても書き続けてほしいと思う。

2.『原発労働記』堀江邦夫(講談社文庫)
☆プロフィール ノンフィクション 文庫 366ページ 定価700円(本体648) 2011年5月13日発行(単行本1979年1月現代書館発行)

 1970年代末期に原発労働の実態を体験として記した先駆的なルポルタージュ。『原発ジプシー』からの加筆修正版として27年ぶりに講談社文庫から発行された。そのきっかけはもちろん2011年3月11日に発生した東日本大震災津波による東電福島第一原発事故だ。
 オリジナルの『原発ジプシー』も現代書館が増補改訂版として32年ぶりに復刻されている。その違いについて著者は「やや似て非なる作品」と書き、労働者たちの詳細や心情を削除したことを断っている。それに対し、現代書館は完全収録の上、加筆修正したと強調している。
 福島の事故があってから原発そのものへの関心が高まり、原発内での労働にもその目が行くようになった。堀江氏は1978〜1979年に美浜、福島第一、敦賀原発で下請け労働者として働き、知られざる過酷な体験を克明に記録した。
 それによって原発内の作業、定検(定期検査)は下請け労働者の日常的な被曝によって実施され、彼らは親方による労賃のピンハネに晒され、安全管理も決して万全ではないこと、さらに日本人よりもさらに労働条件が悪い外国人労働者が多数登用されているといった事実を明らかにした。
 この作品は『原発ジプシー』時代から知ってしたが、読む機会がなく、福島原発後に復刊された講談社文庫版を買っていたが、これまで読まなかった。ところが、竜田一人の『いちえふ』や寺尾紗穂の『原発労働者』に触れるうちに、やはり先駆的なルポとして読む必要を感じ、今回読み通した。
 30歳そこそこの著者が原発になぜ飛び込んだのかは、必ずしも明らかではない。そこから出た理由は「汚い現場」として有名だった敦賀原発で大量に被曝し、心身ともに疲れ果てたせいだという点はよくわかる。堀江氏がパイプのジャングル、全面マスク、薄暗く狭い場所で高い放射線にさらされながら、行った作業のシーンを読むと、それだけでこちらも気持ちが悪くなってきそうになった。

3.『原発労働者』寺尾紗穂講談社現代新書
☆プロフィール ノンフィクション 新書 208ページ 定価821円(本体760) 2015年6月20日発行

 福島第一原発の事故から5年目を迎え、原発に対する関心は急速に衰え、報道は汚染水の流出などに限られてきた。著者はそうした風潮とは別に、復旧・復興ではなく、日常的な原発労働に注目し現場で働く労働者にインタビューを重ね「わがこと」として感じ、考えようとする。
 樋口健二『闇に消される原発被爆者』(1981)に読んで触発された著者は、3.11まで原発の労働実態を詳しく伝える著作が30年間に出ていない事実に気づき、その「空白の30年」を埋める証言を集める。そこにはかつて以上に過酷な被曝の状況が現れてくる。
 この本の前に堀江邦夫『原発労働記』を読んでいたので、定検における日常的な被曝労働、下請け=ピンハネ、杜撰な安全管理、外国人労働者などの問題は一応頭に入っていたが、近年は電力自由化を契機に定検期間が短縮され、事故・怪我、点検漏れが増え、合理化によって人材を育てる環境が失われたという事実は初めて教えられた。
 そして著者は、低線量被曝(内部被曝)の危険と労働者に対する影響を幾度も取り上げ、労災の申請が少なく、認定もされない問題にもメスを入れている。     
 新たな驚きは、「燃料プールに潜る外国人の存在」である。これは一種の都市伝説のようなイメージもあるが、本書には複数の外国人労働者を目撃した証言が載っている。
 この半世紀変わらないのは「多重請負の上下構造」であり、賃金以外の放射線防護対策などでも東電やゼネコンと下請けでは露骨な差別が存在する。
 著者は原発労働の実態を知らないで、電気を使うのは「人を踏んづけて生きることだ」と断じ、その感覚は本書を世に送り出しても変わらないと語る。原発で働く人々が直面する被曝を「わがこと」として考え、関心を持ち、意思表示をしていくこと、つまり原発に対する選択を読者にも問いかける。
 著者はシンガーソングライターで、日雇い労働者との出会いをきっかけに、原発労働のような底辺の闇を探っていく。小さな3人の子供の母であり、その行動力は驚異的だ。聞き取りをまとめ、それをフォローする情報を付け加え、そして自らのモチベーションをはっきりと示し、そこに全体を収斂させていく腕前はなかなかみごとと感心した。

2015 今年読んだ小説ベスト3

 2015年、今年読んだ小説のベスト3は、それほど読んでいないのに無理に選んだら、ちょっと恥ずかしい(図書館から借りた本も動員)。もっと小説を読まないとダメだよね。

1 霧(ウラル) 桜木紫乃
 昭和30年代から40年代、国境の町・根室を舞台に海の向こうの利権や政治をめぐって蠢く男と女たち。没落しつつある名家の3姉妹と北方四島からの引き揚げ者ら影のある男たち。これ以上ない物語の場所、登場人物たちを濃い霧が包む。タイトルルビのウラルはアイヌ語の霧らしい。国籍を持たない北方の少数民族の出身者も重要な役回りを果たすからそうなのだろう。
 主人公の珠生は地方の旧家に生まれながら花柳界に身を投じ、アウトローと添い遂げ、男が愛人と殺されても「姐さん」の意地を貫こうとする。
 珠生を中心に名家の3姉妹がそれぞれ異なる生き様を通して家や男を守ろうとするが、しだいに自分の生き方、世界を見つけ、その愛憎、欲望が小説に重厚な彩を成す。すべてが霧の中で営まれる性と死の物語である。

2 キャプテンサンダーボルト 伊坂幸太郎/阿部和重
 堅い絆で結ばれたかつての野球少年がそれぞれに問題を抱えながら偶然に出会い、恐ろしい細菌兵器による世界同時多発テロ事件に巻き込まれるが、復活した友情が人類の危機を救う冒険活劇。
 野球少年時代から12年ほど経った30代ちょっと前の男たち。それぞれにトラブルを抱え、ぱっとしない仕事にしのぎを削る。主人公の相葉時之、井ノ原悠、父の謎の死を追う桃沢瞳、元ヒーローで幼女暴行の汚名を着るレッドサンダーこと赤木駿。彼らがすさまじい殺人マシーン銀髪の怪人と戦いながら、憧れの「サンダーボルト」=正義の味方を演じ切る。

3 定本荒巻義雄メタSF全集第1巻 柔らかい時計 荒巻義雄
 北海道在住のSF作家の初期作品を収録した7巻本の全集の第1巻。1970年〜72年に発表された作品群は「メタSF」と呼ばれる新しい流れを実践するもので、批評家として世に出た作者の面目躍如たる内容をもつ。
 表題の「柔らかい時計」サルバトーレ・ダリの有名な作品をモチーフに「時間に取り憑かれた」作者の思弁が縦横に語られる。他の作品も同様だが、外宇宙から内宇宙への探求、フロイトなどの心理学の導入、カントやニーチェ哲学への共感など、とにかく現代人文理論の果実をいかに小説に適用するか苦心の作品群だ。

en-taxi 休刊までの13年、46冊を想う


創刊号と休刊号

 ずっと読んでいた雑誌がなくなるのはちょっと寂しい。扶桑社の季刊文芸誌(最近は不定期だったが)『en-taxi』がこの11月で13年、46冊の軌跡を残して休刊した。2003〜2015年、1〜46号の総目次が文庫付録で見ることができる。
 2003年3月の創刊号は、表紙がピンクに黒のロゴがどんと載っていてけばけばしい感じ。en-taxiは「タクシー・で」という意味で、超世代文芸クオリティマガジンというコピーもある。
 のちにベストセラーとなったリリー・フランキーの「東京タワー」の連載が始まり、雑多な文章と企画がごちゃごちゃと詰め込まれ、街の雑踏とか歓楽街の猥雑さに通じる。そして正統派の文芸や文壇にも敬意を表しつつという印象である。
 それが46冊目になると、巻頭の重松清「このひとについての一万六千字」を定番とし、座談会、対談、小説、エッセイ、コラムなどが並ぶ。座談会や対談は創刊号から変わらない面白さを保っている。
 この雑誌をどんな人が読んでいたのか想像すると楽しい。連載ものでは絓 秀実や吉田司の時評はよく読んでいた記憶がある。
 中山康樹の連載「五感の採譜録」でロックやジャズの歴史やエピソードを楽しく読み、特に「マイルスの夏」のシリーズには熱中した。その中山も今年1月には鬼籍に入った。